物事をどう見るか

今年は長く梅雨が続き、子どもたちの夏休みも期間がずれ、あっという間に8月に入ってしまいました。2週間だけの夏休みもあっという間に終わりそうです。秋に控えた運動会、体育祭、文化祭などなど。子どもたちにとって1つでも楽しい行事が無事行われることを願っています。

さて先日は政府や都の政策や、不安を煽るばかりのメディアに悲痛の叫びを上げてしまった私ですが、私だけでなくみんな迷惑してるよな、、と反省。とはいえ削除するのは卑怯かと、せめてしばらくは以前のブログも残しつつ。

心身の健康を扱う人間としては、ただただ皆様の健康を祈っています。この際コロナが何者であったとしても、つまりは皆が健康であるために何ができるか、という私の目標地点は同じです。

1つ言えるのは、1つの事象でも見る角度は1方向だけではないということです。

コップに半分水が入っていたとして、
「まだ半分もある」 と思うのか
「あと半分しかない」 と思うのか
現象は一緒でも、この気持ちの違いは各人の気持ちの持ちようだけなのです。同じ歴史1つとったって、各国で思いは違いますよね。

メディアから受け身で情報を得ているのだとしたら。
そしてそれにより不安や恐怖を手放せないのだとしたら。


一旦テレビ・PC類を手放し、1日以上情報を遮断し、自分でどう思うかを考え、そして情報をとりにいく、ということをしてみましょう。見えてくる景色が違うと思います。

話し出すと何時間でも喋れる奥が深い問題ですが、日本人は特に戦後は受け身の制御された内容での教育を受けているため、自分で考え、意見し、討論するということに慣れていないし、そこで良くも悪くも目立つことをよしとしません。が、一歩外に出てみましょう。意見ができない人間は、なんとカス扱いされることか。英語の発音なんてぶっちゃけどうでもいいです。日本から一歩でると「日本人」を背負っています。愛を持ってどれだけ日本を語れるかであなたの立ち位置は決まります。

話がそれましたが、これを機会にぜひ「自分はどう考えるか」を大切にして、そして意見が違っても恐れず、私は私と言える勇気を各人が持てたらな、と思います。残念ながら個性を大切にできる土台が日本は全くできてないことも今回のコロ助騒ぎで改めて認識もできましたが。。変わらないといけないなという反省が浮き彫りになったというのはよかったですよね。

毎日不安や恐怖で家に閉じこもっていると、体も心も硬くなり、柔らかい発想ができなくなります。光を浴び、土に触れ、自然と共存させてもらうと体も心も柔らかくなります。それが人間の自然の姿と思います。

今はマスクをしたり、消毒したり、シートで空間を分けたりしていますが、実際は「マナー」として「格好だけ」マスクしたり、お釣りも手渡ししたり、その手袋もつけっぱなしでかえって汚かったりしていて笑える場面も増えてきました。

私自身も今日竹布でできたマスクを購入しました。明らかに布はスカスカです笑、ウイルスガードもへったくれもありませんが、これからの夏本番にむけてどうしてもマスクを着用しないといけない時のいわば「なんちゃって」策です。売っている方もわかっててやってますよね、よっぽどのサージカルマスクじゃないと本来の意味をなさないことくらい。なので経済を少しでも回す方に便乗してみました笑

毎日不安で過ごす前に、毎日この心臓が動いてくれて今日という日を過ごせることに感謝しようじゃありませんか。後ろ向きな毎日、前向きな毎日、どちらも同じ時間の使い方です。ならば少しでも楽しい方がいいですよね。みんなが「ありがとう」という気持ちを持てば世界は今からでも変われると信じています。